本書の構成・特徴
これまでイメージ先行で語られがちだった最上義光の生涯と周辺事情について、おおむね編年体で時代順に流れを追っていく形です。 冒頭1章分くらいは義光以前の最上氏についての記述なので、一度飛ばしておいて義光自身についての部分を読んだ後読み返すのもありかと思います。 最上義光の歩んだ経歴を追いながら、家族・城・領国経営・家臣団の統率などについてつらつらと解説が挟まる形式。 ただこの人物叢書特有のつらつら書き形式、辞書的な使い勝手はちょっと微妙な部分があります。 家督相続のゴタゴタに始まり、天童氏・白鳥氏との戦いを経て、大宝寺氏・本庄繁長との十五里ヶ原の戦い・秀次事件・北の関ヶ原、最後は義光死後、最上家が改易されるあたりまでを扱っていました。 最上氏の家督相続騒動が、伊達稙宗と晴宗の伊達家天文の乱とよく似た構図であった可能性を指摘しているのは大変面白かったです。 義光の父義守は伊達稙宗と同じく婚姻によるゆるい地縁ネットワークで支配力を高めようとし、義光がそれに異を唱えていた…まさに伊達天文の乱とよく似ていますね。 ほかにも、これまでいくつか説の分かれていたもの(鮭延越前守秀綱の加入時期など)についても、著者が考察を加えて説を展開しています。 本書のデメリットとしては、文中にある書状などが書き下し文のみの掲載が多く、現代語訳は掲載されていないこと。 大意をつかめるものはいいのですが、なかなか書き下し文のみだと理解が難しいものもあります… わからない箇所は『日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法』を使いつつ、読み進める予定です。 こちらは武将の手紙などを読みたい人向けの辞書として大変おすすめの一冊です。解説図・関連年表・系図も掲載
そう数は多くないですが、以下のような解説図も掲載されています。・南出羽地域の街道概略図
・出羽領内の最上家家臣団の配置図
・義光が使用していた花押、黒印の一覧表
・出羽領内の城の一覧
・長谷堂城の戦いの時の城一覧
また、巻末には最上氏略系図・関連年表もあるので、
制作中など年号確認等をしたい場合にはかなり便利に使えます。
写真や参考文献リストも充実
上記の図に加えて、ゆかりの品の写真も充実しています。 写真が掲載されているのは、以下のような品です。 イラストや文章で書く時に参考にしやすくて助かります。・長谷堂城の戦いの際に上杉の水原親憲につけられた銃痕が残る義光の兜
・徳川家康と飲み交わしたと伝わる葵紋の入った盃
・伝最上義光所用の鉄製指揮棒(「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」と印刻)
・長谷堂合戦図屏風
どこに収蔵されているか、キャプションで書いてあるので見に行きたい時にも役立ちます。
このほか、城や寺・墓の外観写真などもいくつか掲載されています。
冒頭ページには立石寺に義光が提出した願文の写真も。
ちなみに、指揮棒こと例の鉄棒は以下のようなスペックだそうです。
長さ八四センチ、幅二センチ、高さ一・五センチ、重さ一・七五キロのものである。 (P215)また、長谷堂合戦図屏風で鉄棒を振り回しながら赤い母衣をまとっている鎧武者が義光だそうです。 (暴れん坊探題…) でかいサイズの長谷堂合戦図屏風は「最上義光歴史館」で見れます。 参考文献も論文中心ですがかなり詳細にいろいろなところのものが載せてあります。 本書の著者の『霊山と信仰の世界』には「長尾為景と北条氏綱のやりとりを仲介していた出羽山伏」の話もあるらしく、そちらも気になります。 (P163にて紹介) ・おまけ 最上義光の兜を撃ちぬいたという水原親憲は今年2016年、ちょうど生誕470年・没後400年にあたります。 有志による記念サイトが大変わかりやすく充実しているので、こちらもおすすめ。 [blogcard url=”http://thikanori400.jimdo.com/″]
お手紙・連歌関係は少なめ
政治・合戦方面に関する記述は多めですが、最上義光のもう一つの側面である文化人としての事柄についてはあまりページ数が割かれていませんでした。 最上義光は細川幽斎に次ぐ数の歌を制作しており、代表的な連歌師・里村紹巴の弟子でもあります。 また、源氏物語の切り紙伝授(要は免許皆伝)も受けています。 (三好長慶もたしか源氏物語について指導を受けていたような) 加えて、眼病によって仕方なく右筆を置くまでは手紙を自筆で書いていたという話も… ただこの話、寡聞にして出典を知りません…どなたか教えてくださると嬉しいです。 今回、その義光の「文」の部分はさらっと触れる程度だったのが若干心残りです。 ただ、少ないながら朝鮮出兵時に山形に宛てて出した「今一度最上の土を踏み申したく候(以下略)」の手紙については言及がありました。(P116) このお手紙、前述の「最上義光歴史館」で見ることができるんですが、 おそらく戦国大戦のSR最上義光(羽州狐の知謀)撤退セリフ、今一度、最上の土を…の元ネタと思われます。 戦国大戦では最上義光はSR2枚、R1枚でカード化されており、 本庄繁長と戦った「十五里ヶ原の戦い」、直江兼続と戦った「北の関ヶ原」などの群雄伝(ストーリーモード)シナリオで登場します。 こちらのシナリオでは従来の悪逆な策謀家イメージでなく、 「必要とあれば策も用いることも辞さない知謀も持ち合わせた武勇に優れる大将」的なキャラクター像なので、最上スキーの方でも安心して見ていられるかと。 2016年1月稼働のバージョンで追加になった義光のカードは、山形城にある銅像を参考にしたと思われるポーズ+例の鉄棒を持っています。 そういえば、北の関ヶ原での危機に際し、秋田角館の領主・戸沢氏に義光が出した血判起請文も掲載されていましたが、これもとても意外でした。 (本書では宛先までは書いていませんでしたが夜叉九郎こと戸沢盛安の跡を継いだ人でしょうか) 戸沢盛安も戦国大戦で2枚、美青年キャラクターとしてカード化されています。