越後永正の乱-1510年に佐渡から帰還した為景の動向まとめ

長尾為景と越後永正の乱

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時は戦国初期。
1510年に長尾為景が佐渡から越後へ帰還を果たし、最後は長森原の戦いで関東管領・上杉顕定を敗死に追い込むことで決着した、越後永正の乱。

資料や人によって為景の上陸地を蒲原津と言ってたり寺泊といってたりごちゃごちゃしてるので、越後に帰還した後の為景の動向をちょっとまとめてみました。


以下、長尾為景と上杉定実が佐渡から上陸して以降の流れです。


・永正七年(1510)4月20日
長尾為景と上杉定実の軍が佐渡より蒲原津(新潟市中央区上所上)に上陸


・同年5月20日
信州口から高梨政盛が侵入、西頚城地方で村山直義(要調査)が顕定軍を破る。

・同年6月6日
蔵王堂(長岡市)で戦。顕定方についていた古志長尾房景に為景方が敗退。蔵王堂城陥落。

房景軍は為景方の主な者百余人を討ち捕らえ、残る数百人を信濃川へと追い入れたという。

(三条市史上巻P176)

この時点で阿賀野川以南に残る為景の主要拠点は三条(山吉)・護摩堂(田上町)のみ。
顕定方は三条城の押さえとして黒滝城(弥彦村)に八条修理・桃井氏を配し、寺泊の為景軍と三条城の連絡分断工作をしていた。(八条氏・桃井氏が黒滝城に入った時期は1510年かどうか不明)

・同年6月12日
定実の実家である上条定憲が顕定方から定実方に転じる。
このため顕定と憲房は寺泊を退去。

為景、寺泊へ進撃。顕定の軍と戦闘(渡部の戦(by『三条市史』、渡部→燕市渡部という住所が現存)
このころ、為景と組んだ長尾景春が再度蜂起。伊勢宗瑞(北条早雲)が武蔵を攻略。顕定の背後が怪しくなり、帰国を焦って憲房に為景の陣があった椎谷の陣を攻撃させるが失敗に終わる。
(ここでいう椎谷の陣は後述の高梨・上条勢か?)

・同年時期不明
椎谷(柏崎市)で高梨・上条軍が合流、顕定養子の憲房を破る。
顕定の政策に反発する者がおおく、憲房には兵が思うように集まらなかった。

・同年時期不明
上杉憲房、妻有荘(中魚沼郡)へ引き返す。
(この時、「天下に類のない奸雄」と為景を評した手紙を出した…のか?要調査)

・同年時期不明
古志長尾家が為景方に内応。越後府中で土一揆起こる。

・同年6月20日
為景、府中を奪還。
上杉顕定、府中を放棄し関東へ帰還を急ぐ。

顕定、坂戸城主・上田長尾房長に退路を塞がれる。
(明確に上田長尾が顕定を裏切ったとする表記と、裏切ってはおらず、非協力の姿勢だったとする表記の二通りを見かける。要調査)

上杉顕定、進退極まり、追撃してきた為景軍と長森原で激突。顕定戦死。憲房、妻有荘を保持できず放棄して上野白井城へ撤退。

地図は南魚沼市立管領塚史跡公園の位置。
長森原とは、上田長尾氏の坂戸城がある坂戸山から六万騎山の間の平地を指すという。
(現在も、地名に「長森」の名が残る)

・同年7月28日
為景の派遣した援軍の福王寺・山吉氏ら、長尾景春とともに上野宮野で上杉憲房と合戦。
(三条市史上巻P138、『長尾氏の研究』より孫引き)

この時為景が「景春に合力せよ」と福王寺孝重に書き送った手紙が残っている(黒田基樹『長尾景春 (シリーズ・中世関東武士の研究)』巻末に収録)

同書には景春が「定実と為景が上野に援軍よこさないんだけどなんで?」と大変立腹している手紙も収録されている(原本は『山吉家伝記』「長尾伊玄書状写」)


大まかな流れは以上。

寺泊に直で上陸→寺泊で合戦としている記述もあるが、手紙などの残存状況から蒲原津上陸の方が正しいと思われる。

また、物によっては寺泊・椎谷の戦いとも書かれるが、椎谷の方は為景方についた高梨政盛(為景の義父?叔父とも)・上条定憲(上杉定実の生家)が顕定養子の憲房と戦っていた。

古志長尾家は後年為景に嫁ぎ謙信を産んだ虎御前(青岩院)の生家との説あり。
虎御前の生年は1512年らしい。

なお残る疑問としては、実際に出撃した高梨氏が誰なのかが断定できない。
本によって政盛としていたり、孫の政頼としていたりするが、時期的に政盛のような気もする…
(政頼生年が1508年とすると、政頼という主張には無理がある)


景春の手紙が論集に記載されている旨はフォロワーさんから教えていただきました。ありがとうございます。

それ以外にも何か情報をお持ちの方、「これはこうじゃないか?」と思われましたらぜひコメントよろしくお願いいたします。

◆参考

顕定の死の前後について彼の養子・上杉憲房が書いた手紙が掲載されている。(資料番号11)


三条市史の販売情報ページ。

◆こちらもあわせてどうぞ

謙信の父で下剋上の雄こと長尾為景が詠んだ歌について調べてみた

上杉顕定が色部昌長に宛てた手紙の「長尾六郎」は誰なのか?

三分一原合戦で長尾為景は「隠居に追い込まれた」のか「満を持して隠居した」のか

本庄繁長の祖父・本庄時長の生年を妄想してみる

乃至政彦先生による三分一原の為景勝利の裏付け史料情報解説

嗚呼悲しきすれ違い、長尾景春と太田道灌-萌える戦国本『享徳の乱と太田道灌』

 

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  1. 2016年 5月 01日
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