性別違和感を打ち明けた時安易に「わかる」と共感されることについて

同性パートナー・ジェンダー/思うこと・ぼやき//1

性別違和についての考え事のログです。
性別違和感を打ち明けた際、欲しいのは共感でなく受容であり安易な共感は諸刃の剣である、という話。

安易な共感は慰めにはならない

身近な人(とりわけ家族)に「実は」とセクシュアルマイノリティ関係の話をすると、しばしばこんなセリフに遭遇します。

「私も年頃の頃は同性に惹かれる時があった」
「実は自分も逆の性別かもって思ってた頃があったわ~」

経験したことある人もいるんじゃないでしょうか。

で、このセリフ。
次に続く言葉までテンプレのように決まっていることが多いです。

「けどそれはそのうち収まるものだ。若いからちょっと揺らいでるだけだ」と。

これ、言ってる側はたぶん慰めのつもりなんでしょうけど、
全くもって慰めになっていません。
どころか、余計本人の傷を抉りかねません。

その場では笑って流すかもしれませんが、あとで目茶目茶凹みますし、その発言者は信用できない人としてカウントされます。
母親やかかりつけ医の受付さんなど知り合いにも言われたことがありますが、私も相当凹みましたし、嫌でした。

それくらい、ダメージのでかい言葉なんです、これ。
言われたくない言葉のランキングTOP10圏内常連。

じゃあどうすればいいのか

受け止めきれないのなら余計なことは言わなくていいのでせめて「そうなんだ」とかで留めておいてくれると、双方平和です。

よほどのことがない限りは性別違和感を他人に打ち明けない人も居ますので、そういう時に「一般的な価値観の押し付け」が返ってくると本当に嫌になるものです。
説教されたくて悩みを打ち明けてる人は除きますが…

もちろん、自分の性別違和感や大多数と異なる性的指向を持つ人すべてが俗にいう性的マイノリティに該当するわけではないでしょう。
その中には先の発言通り、「思春期にそういうこともあったなぁ」程度の人も含まれるかと思います。

でも、それはそれでいいんじゃないでしょうか?
後から本人が振り返って「ああ、あれは若いころまだ不安定だったせいなんだなぁ」と思う分には全然いいと思うのです。

揺らぐ心の逃げ場にしてしまっても、全然かまわないと思うんです。
逆にそれを「なんちゃって」だと切って捨てたりするのは、ただでさえ生きづらさを抱えやすいというマイノリティの性質を考えると、本末転倒ではないでしょうか?

もしかしたら本当にマイノリティなのかもしれないし、違うのかもしれない。
迷っている間は、少し身を置いてみるのもいいと思うんです。
違うと思えば、また合うところへ身を移せばいい。

マイノリティのカテゴライズは、「分断」ではなくいわば「海域」みたいなものだと私は思っています。
全部地続き。

ただ、それを他人が勝手に言い切ってしまうのはイカンのです。
どこまでいっても「あなたは私じゃない」んです。それがどんな小さい子供でも。

こういう記事を書いたところでそういう反応をする人がいなくなるわけではないでしょうが、
せめて「善意」で「そのうちなおるわよ」とか言ってくる人が少しでも減ればいいなと思った次第です。

類似した発言で「そのうちあなたにもいい男(女)が見つかるから~」とかも超やめてほしい。
言われて嫌がる人は照れ隠しだとかでも思ってるんでしょうか。

性的指向や性自認にかかわらず、よく知らない人のパートナーシップへの態度に口を挟むのは、細心の注意を払ったほうが良いでしょう。

考え方の参考になる本

「あなたは私じゃないし、私はあなたじゃない。そこを尊重した上での人付き合いこそ健全だ」。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』で紹介されているアドラー心理学の考え方はこの思想を日常に活かすために非常に役立ちます。

二冊とも、ベストセラーになっているだけあって非常にわかりやすく、おすすめ。
ただ優しいだけの自己啓発本をお求めの方には向きませんが、現状を打破したい方にはうってつけです。
ただし、「トラウマは存在しない」などキツめの言葉もふんだんに使われているため、今現在癒やしを必要としている人には劇薬すぎて向かないのでご注意。

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