外で働くのが圧倒的に向いていない人はいる

メンタル・働き方

この記事の最終更新日は【2016年12月30日】です。

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外で働く
通常、働くといえば会社に雇用されて通勤を要するものを指すことが一般的だ。 だけど、この「外に出て働くのが圧倒的に向かない人」が存在するということはあちこちで言われており、知っている人も少なくないと思う。 今回、自分の身の上に起きたことと、気づいたことを通して実感した内容をまとめてみた。 今日、バイトを休んだ。 年の瀬のこの忙しい時期にである。 休んだといっても、高熱が出たとか、怪我をしたとか、冠婚葬祭とかではない。 たかだか短期のバイトだというのに、あることがきっかけで死ぬほど行きたくなくなり、メンタル不調を起こしたのが理由だ。 その理由というのは、他人の目線に耐えられないという、わけわからん人からしたらわけわからん内容である。 もともと寝不足気味で行っていたこともあり、休憩時間中に少しでも体を休めようとぐったりしていたのを、同じ職場にいる母から遠回しに「なんか休憩中ものすごい格好してる人いるwwwって言われてるよ」と言われた。 これがだめだった。 (正確には、母には私と分かってそれを言われたわけじゃなく、職場の雑談でこんなことがあったんだよ的な話だったが、聞いていたら明らかに私のことだった) 自分では全く自覚がなかったが、ものすごい格好で休んでるように見えたらしい。 たしかに言われてあとから振り返ったら、普通体裁を気にする人はやらないだろう。 そうは納得しようとしてみても、駄目だった。 「自分のことをそんな風に見てくる人がいる所に行きたくない」という考えがぐるぐるしてどうにもならなかった。 完全に心が折れたようである。 もともと、このバイトが始まる前、かなり精神面のほうが不調にになっていて、自分でも期間中だましだましやって持つものなのか不安だったところに追い打ちをかけられたような格好だった。 事実、今回の休みの前にすでに二度休んでいる。 申し訳なさすぎていっそ首にしてほしいくらいだが、担当の職員の方は普通に心配そうにしてくれるので、それはそれで逆にプレッシャーである。 おかしな理由でへばっているこんな駄目人間より職員さんのほうが大変そうなのに。 決定打は先の雑談の話を聞いてしまったことだが、他にも行きたくなくなる理由はあった。 休んでしまった次の日に行ったら、なぜか休み連絡が伝達ミスで伝わっておらず、「なにもなく来なかったので、このまま来なくなるかと思った」と言われた。 もともと、気にしいで人の信用を損なわないことを無理してでも第一義に行動する節があるので、これも精神的にかなりダメージがでかかった。 偉い人が急に後ろから話しかけてきたり(文字通り身体が跳ねるくらい驚いた)、仕事中後ろをうろうろして観察されている時間があったりしたのもじわじわと辛かった。 加えて、更年期らしい母の言葉の節々がトゲトゲとボディブローのように刺さるのもきつかった。 今更期待しても無駄だけど、「休みたい」「無理」と言った時に「昨晩あんなに楽しそうにしてたのに?」とさもだらけて根性がないだけだみたいに言われると、「ああこの人には話が通じないんだな」と思ってしまう。 昔からこんな感じの言い方をする人だったが最近はとくに耐えられなくなってきた。 自分が弱っているだけに、余計そう聞こえてしまうのかもしれない。 5連勤の初日でこれなので明日は行けるのか非常に心配だが、明日のことは明日にならないとわからない。 今日はとにかく休ませてもらおうと思う。 以上が長くなったが前置きで、以下でなぜこのような思考になってしまったのかについて考えてみる。

他者の視線がある場所で働くのが無理なのかもしれない

今回の一件で感じたのは、 どんな内容であれ、ささいなものでも人からからかいの視線を受けるとそれにかかわるもの全てが嫌になってしまう、という自分の思考の癖があるなということだった。 外で働く、活動する以上、肉体的だったり、外面の動きを他者に見られることは避けられない。 だが、どんな人でも嫌われたりからかわれたりすることは100%ゼロにすることができないだろう。 外に出て活動する以上、これらのことは必ずあるといっていいことである。 が、自分の場合は学校生活(それも10年以上昔)に受けた傷が癒えていなかったらしく、「からかわれる」「人から嘲笑のまなざしをむけられる」「信用にヒビが入るようなことがおこる」「頑張れない」といったことにどうやら過敏に反応してしまうようだ。 (中高生くらいのころ、いじめまではいかないがからかわれており、クラス内ではほぼ孤立していた) つまり、外で働くという行為が、自分で想像していた以上に負荷の掛かる行為だったのである。 人前に出るための体裁を整えるということはたいていの人がしていることであるが、どうやら普通の人に比べてそれがとても自分には「重労働」らしかった。 もともと「おかしい」から「普通」に見えるよう「擬態」しなくてはいけない、と再三母親に言われて育ったのも影響しているかもしれない。 一方、ネットを介した仕事のほうはどうかといえば、少なくとも相手と接触があるのは連絡をするときくらいのもので、極端な話、寝巻きのままだろうが、布団の上からだろうが、仕事をすることはできる。 仕事のやりとりはメールが中心で、メールであれば比較的冷静にやりとりができる自分にとってはこれもありがたい要素の一つだ。 ようは擬態しなくてはならない部分が少ないので、より本質的な作業に労力を割くことができるのである。 自分が外で働くのが圧倒的に向かない、と考える理由がまさにこれで、 「普通」を擬態するのに労力のうち、60%くらいを使ってしまう感覚がある。 擬態しているわけなので、常に神経はピリピリしているし、ふとした拍子に緊張が抜けてしまい、今回バイトを休んだ理由のようなことが起きる。 このことから、おそらく自分は「他者から見られている環境で働くのは向かない」のだろうなと感じた。 とにかく他人の視線があるというだけで、不必要に緊張してしまうのだ。 もちろん任された仕事はするものの、一刻も早く帰りたい、としか思えず、稼ぎたいから残業しようとか、同じところで働くバイトさんと仲良くしよう、みたいな余裕はまったくない。 この「向いていなさ」が生来の気質なのか、精神面の傷が癒えれば治るのかはわからない。 が、とにかく、母親に嫌な顔をされようが呆れられようが、誰も味方がいなかったとしても、自分のメンタルが「無理!」と言った時くらいは尊重してやれるようになりたい。 敏感すぎるHSP気質なのか、あるいは発達の特性なのか、メンタル系の病なのか、はっきりさせたいと思う反面、「たんなる怠け」「努力が足りないだけ」と言われるのが恐ろしく、身動きが取れないでいる。 「もう頑張れない」「頑張りたくない」「頑張ることに疲れた」という状態がここ一年は続いているので、今叱咤激励されたところで、受け入れて頑張れるようになるとも思えない。 そんなことを考えながら、頑張っている職員さんやバイトさんには本当に申し訳ないのだけど今日はひっそりと布団の上で過ごさせてもらおうと思う。 明日はまた自分を騙せるだろうか。 外で働くのが向かない、と感じている人間の一例として、記しておきました。 ◆生きづらさ 関連記事 自分の感情がよく分からないのは親の感情の子守をさせられて育ったからかもしれない話 真っ当な社会人の真っ当な正論が怖いという話 性別違和感を打ち明けた時安易に「わかる」と共感されることについて 「人間」という動物システムからは誰も逃れられないのかもしれない