通説
「三分一原の戦い」は越後守護代・長尾為景の生涯最後の大戦である。 ↑三分一原の位置 三分一橋の北側周辺が古戦場に当たるそうです。石碑もあります。 為景(越後守護代)VS上条定兼(越後守護定実の実家)+揚北衆+上田長尾の戦い。 勝敗:為景方の「辛勝」、為景はこのため影響力を減退させ、「隠居に追い込まれた」(天文5年(1536)の項) 八月三日、為景は突如として晴景に家督を譲り、自ら隠居する(新-一〇九)。おそらく守護上杉定実の調停による為景方と上条方の講和条件であろうが、実質的には為景方の敗北といってよい。(61ページ) (2013増補2版『増補改訂版 上杉氏年表』より)→三分一原の合戦は為景の「敗北」とされている。
一方『上杉謙信の夢と野望』では
本書では、通説は新資料によって否定できると主張しています。だが、この通説は今となっては改められねばならない。 なぜなら新たに発掘された史料(「越後過去名簿」)を見ると、三分一原合戦から十三日後の四月二十三日に上条定兼の死去が確認され、『米澤家譜』にある通り、この敗北が定兼の死に直結したことが明らかにされるからである。 総大将を失った側が勝者であるなど、古今のどこにも例がない。 (P24)→為景は大きく被害を出しながらも「勝利」し、「満を持して隠居した」