嗚呼悲しきすれ違い、長尾景春と太田道灌-萌える戦国本『享徳の乱と太田道灌』

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享徳の乱と太田道灌

長尾景春と太田道灌がやたら仲良さげに書かれている一冊、『享徳の乱と太田道灌 (敗者の日本史 8)』(山田邦明 著)を取り上げます。

歴史本としてのポイントよりも萌えた箇所についてを重視した記事ですので、学術的な書評は他ブログさんなどをご参考ください。

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人物紹介

長尾景春…元・山内上杉家の家宰家出身。家宰職を継いだのが叔父の忠景であったことに不満をもち「長尾景春の乱」を起こすも、太田道灌に全部鎮圧されてしまった。しかしその後も粘り強く再起を続けた絶対にめげない男。北条早雲からは好印象で同盟相手。下剋上の代名詞・長尾為景とは同族。

太田道灌…扇谷上杉家家宰。武勇に歌に築城に何でもござれのスーパー天才。景春の起こした乱をほぼ一人で鎮圧。主をしのぐほどの実力であったがその自負心から来る発言が身を滅ぼし、最期は主君・上杉定正におびき出されて風呂場で暗殺された。

家宰とは…執事職。ざっくりいうと守護における守護代のような存在。実際両上杉家の家宰は関東各地の上杉家両国の守護代も務めていた。複数の守護代を務めていたり、実権も大きかったので主家よりも実力が大きくなることがあった。

享徳の乱ってなに?

表題にある「享徳の乱」は、簡単にまとめると

・幕府と対立し続けていた前鎌倉公方・足利持氏の遺児が京都から関東に下向し、元服して成氏と名乗った。

・当時の関東管領は持氏遺児を担いで結城氏が起こした「結城合戦」を鎮圧した上杉氏憲 (禅秀) の子・憲忠だった

・このため成氏と憲忠の仲はうまくいかず、豪族(結城氏やら真里谷武田やら里見氏やら)に担がれた成氏は憲忠を誅殺

・成氏は古河へ移り、古河公方となる

・公方(豪族系)VS管領家(両上杉&その執事家)の戦争勃発\(^o^)/

という感じらしい。
(ちなみに上杉氏憲 (禅秀) は足利学校の再興とかを行った人物でもあります)

この時、関東管領家側について戦っていたのが道灌の父・太田資清(道真)と景春の祖父・長尾景仲だったようで、
道灌と景春の因縁(?)はここで既に始まってたのかと思うと感慨深いですねぇ…

では、本書の最萌え迷シーン(?)のご紹介をば。

すれ違う悲しみの叔父甥

五十子の陣を襲ってみたものの、今後どうなるか見通しも立たず、景春も不安を抱いていたようである。
そこで頼りになる道灌に相談をもちかけたのだろう。
道灌としても、景春に対して特別の不満があるわけでもなく、彼が改心して歩み寄りをみせることを期待していた模様である。
道灌が嫌っていたのは長尾忠景のほうで、景春には好意的なところもあったようなのである。
しかしいったん勝利を収めてしまった以上、景春としてもここで引き下がるわけにもいかない事情があった。
二人の交渉は結局いきづまり、互いに戦い合うことになってしまう。

『享徳の乱と太田道灌』 120ページ

もうね、なんだこの二人は、と。
JPOPもびっくりのすれ違いカップルですか?と。
この顛末を「手の込んだ離婚調停」と表現していたフォロワーさんがいらっしゃいましたが、言い得て妙だなと思います…
ていうか山田先生!「道灌が景春に好意的」の出典になってる手紙とか史料とかあるんですか!?教えて!!

ちなみに忠景というのは景春の叔父で、彼が家宰職を継ぐのは別に不思議ではなかったことだそう。
ただ、山内上杉家の家宰は二代続けて景春の出身・白井長尾から輩出されていたので、忠景が家宰となることで既得権益がはく奪されることを恐れた者たちが、景春を突き上げた…というのが景春の乱の真相らしいです。

忠景のことを嫌いな道灌の話は他の本でもちらほら読んだことがあります。
合戦に対する方針とかで揉めまくってたとかなんとか。人間的に合わなかったんだろうなぁ…w
道灌はよく完全無欠の天才と言われていますけど、この辺の依怙贔屓だったり好き嫌いだったりが露骨に出る感じがかえって人間臭くて面白いですよね。

道灌の妻が景春の叔母にあたるという話もあるようで、実は義理の叔父甥にあたるこの二人。
(従兄弟という説もある)
他にも(信憑性は低いですが)建長寺で子弟関係だった?とかいろいろ突くとおいしいネタばっかり出てきますね…

ちなみに本書、長尾景春の乱については、本文半分を越したあたりから特集されており、メインを占めているといってもいいくらいの分量です。
なので景春の文字はタイトルに1ミリもありませんが、景春目的で読み始めても十分楽しめますよ!

「道灌謀殺は3説あるよ」とかも紹介

太田道灌をタイトルにしているくらいなので、もちろん道灌に関する記述も豊富。
なかでも、道灌を謀殺するに至った理由はなんだったか、視点を分けると3つの説にわかれるという紹介が。
著者の山田先生は「一番有力なのは道灌の「下剋上」を恐れた定正が先手を打った結果と考えるのが自然」と結論付けていますが、「定正が顕定と戦おうとしたのを道灌が止めたので邪魔になって殺した説」「道灌が顕定と戦おうとしたのを定正が止めた説」も創作的にはなかなかオイシイです。

顕定VS為景の過程についても結構詳しい

完全に余談なんですが、196P~201Pくらいには越後永正の乱、
すなわち上杉顕定の越後入り~長森原で戦死するまでの過程がかなり詳しく書かれていて、
戦国大戦の長尾為景伝の3話の裏でいったい何が起きていたんだ!?と疑問に思っていた私にはドンピシャでした。

とくに、
「はじめ、顕定には越後とことを構えるつもりはなく、色部昌長の陳情に対して「六郎(為景)には言っておくから安心しといて」とか言ってるぐらい良好な関係だった」
「弟の仇討は単なる大義名分で、別に大して弟の仇を恨んでるってわけでもなかった」
「顕定の越後支配はすぐに頓挫したと思われがちだが実はそこそこうまくいってて戦線は膠着状態だった」

などは目から鱗でしたね~

(↓この六郎が為景かどうかについての記事も書きました。よろしければあわせてどうぞ。)

なお、顕定は「景春は長尾一族の長老のくせにまーた今回も裏切りやがった。二度目ですよこれ。かくなるうえは処す?処す?」と長尾景長にお手紙をしたためたその日に椎谷(柏崎市)で為景に敗れ、そのまま長森原で戦死を遂げたというオチです…
ちなみに景春はこの時も蜂起しただけで目立った成果はあげられていなry

結論から言うと、道灌・景春・為景好きなら萌え目的以外でも一読をお勧めします!
時系列を追ってかなり詳細に解説しているうえ、図表もわりと多めです。巻末には年表も。
早雲先生については、ちらちらと話題に上る程度だったので、北条好きの観点で追いかけると、少々物足りないかも。

「叛鬼」で景春についてもっと知りたくなった人、とかにはピッタリな本だと思います。
論集『長尾景春』にチャレンジする前に、読んでみてはいかがでしょうか。

著:山田 邦明
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関連書籍の紹介

編集:基樹, 黒田
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↑景春の論集。景春に関する伝承などについても詳しい。

著:伊東 潤
¥1 (2024/12/31 23:52時点 | Amazon調べ)

↑絶対にめげない男・長尾景春のアツい小説。超オススメ、萌え詰まってます。
景春因縁の太田道灌や上杉顕定だけでなく北条早雲(伊勢宗瑞)や長尾為景も出てきます。