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上杉謙信の父・長尾為景(ながおためかげ)は、下剋上の代名詞であり、また「天下無二の奸雄」というあだ名でも呼ばれています。
「奸雄」とは時に悪事をもためらわないような英雄を指す言葉ですが、どうしてそのような異名がついたのでしょうか?
ニックネームの由来についてまとめてみました。

時代背景:守護代という立場

上杉謙信の父親である長尾為景は、越後のナンバー2である越後守護代という役職についていた人物です。
当時、守護代の上には守護という上司がおり、その国の支配者は名目上、守護ということになっていました。

ですが、もともと守護というのは基本的に京都にいるものでした。
守護が京都にいる間、守護代が守護に代わって国を治めていたのです。
それが室町時代も後期になると、応仁の乱で京都が荒れ果て、守護たちは逃れるように自分の領国へ下るようになりました。

守護は国のトップですから、領国でトップとして振る舞おうとします。
強権的な手法を取ろうとする者も出てきます。
が、今まで国を任されていたのは守護ではなく守護代です。
当然、多くの場合国衆たちや守護代と、守護はうまく行かなくなります。

そこで争いが勃発し、日本各地が戦乱の巷となるわけです。
これが、戦国時代の始まりとも言われています。

越後国でも、この問題は起きていました。
長尾為景の父親・能景もまた越後守護代の役職についていましたが、
どうも守護である上杉房能への対応に苦慮していたようなのです。

折り悪く、永正3年(1506年)に長尾能景が越中一向一揆との戦い(般若野の戦い)で戦死すると、
守護代の役職は息子である為景が継ぐことになりました。
しかし、房能はこの若い守護代を侮ったのか、能景のころにはなんとか表面化せずにいた軋轢が、
とうとう表面化。
守護代・長尾為景と守護・上杉房能は武力衝突を起こし、結果的に上杉房能は敗れて天水越で自害することになります。

これが、長尾為景人生一度目の「下剋上」です。

長尾為景、二度目の下剋上

上杉房能との合戦ののち、為景は房能の養子であった上条氏出身の上杉定実を主に担ぎあげ、越後守護の座を継がせます。
(上杉定実のほうが、11歳年上と言われています)

このことで、名目上為景の「政治的な正義」は保たれ、越後は丸く収まるかに見えました。

が、しかし、そうは問屋がおろしません。
当時の越後は関東と深く結びついていて、越後の情勢が変わるというのは関東にも深く衝撃を与える出来事だったのです。
とりわけ下剋上の先駆けとされ、北条早雲の名で知られる伊勢新九郎宗瑞や、
長尾景春の乱を引き起こし長年関東管領・上杉顕定と対立していた長尾景春は、長尾為景の支援者でもありました。
為景の動向が彼らの動きに影響を与えるだろうことは、火を見るより明らかです。

この時の関東のセカンド権力者である関東管領・上杉顕定は実はもともとは越後上杉氏の出身で、上杉房能の兄です。
永正7年(1510)、顕定は殺された弟の仇討を名目に、上杉顕定率いる関東軍が大挙して越後へ侵入。
上杉定実・長尾為景の主従は一旦越中へ身を隠します。

その後、佐渡へ渡って反撃に出た為景は、とうとう、同年6月20日上州・長森原の戦いにおいて上杉顕定を敗死に至らしめました。

為景は守護という直接の上司だけでなく、「関東」そのものに君臨する関東管領までもを死に追いやったのです。
己の生死を賭けた戦いとはいえ、当時の価値観では、これは青天の霹靂とも言える出来事でした。

顕定養子・上杉憲房の手紙

越後守護代・長尾為景が関東管領・上杉顕定を殺害した。
この事実は驚きを持って関東に伝わります。

顕定に同道していた、彼の養子・上杉憲房は当時の様子を手紙にしたため、
為景の成したことに対して大いに非難をぶつけました。

そう、これこそが長尾為景を「天下無二の奸雄」と称する由来となった証拠なのです。

「天下無二の奸雄」の由来

件の上杉憲房の手紙の本文を見てみましょう。

為景の悪行をなじっている場面は、こんな感じです。

(原文)

将又長尾六郎非殺民部大輔房能耳、重而可諄身体如此之条、為家郎亡両代之主人候事、天下無比類題目候、
「歴探:上杉憲房、上乗院に、関東・越後の事情を伝えて、長尾六郎・高梨摂津守の追討発令を要望する」より引用)

(訳)

一方で長尾六郎は民部大輔房能を殺したのみにあらず、重ねて可諄の身体をこのようにしましたのは、家臣が累代の主人を滅ぼすこと、天下に例がない題目です。
「歴探:上杉憲房、上乗院に、関東・越後の事情を伝えて、長尾六郎・高梨摂津守の追討発令を要望する」より引用)

ここに出てくる可諄というのは上杉顕定の出家名です。

身体をこのようにした=戦死させた、ということですね。

上杉憲房は、為景のしたことを「天下に例がないこと」=「天下無二」だ、と言っているわけです。

ということで、長尾為景を指した「天下無二の奸雄」というのは、何かの史料から直接そのままつけられたあだ名ではなく、
この手紙を参考に、後世の人がつけたものであると推測できます。

(…と書いたものの、検索してみたところどうも戦国大戦の為景以外で使われているところを見ませんので、戦国大戦というかセガが独自につけたあだ名なのかもしれません)

以上、長尾為景の異名「天下無二の奸雄」の由来についてのまとめでした。

 

本記事は以下の記事の訳を参考に書かせて頂きました。

長尾為景・北条早雲・長尾景春などについてわかりやすくまとめている本としては、「東国武将たちの戦国史: 「軍事」的視点から読み解く人物と作戦」がおすすめ。
為景の下剋上と時代背景についての解説が詳しいです。
また、為景が主人公として出ている数少ない小説「上杉三代記」もおすすめです。

◆こちらもあわせてどうぞ

越後永正の乱-1510年に佐渡から帰還した為景の動向まとめ

上杉顕定が色部昌長に宛てた手紙の「長尾六郎」は誰なのか?

謙信の父で下剋上の雄こと長尾為景が詠んだ歌について調べてみた

嗚呼悲しきすれ違い、長尾景春と太田道灌-萌える戦国本『享徳の乱と太田道灌』

 

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