![戦国大戦のシャクシャイン](https://sengokulife.com/wp-content/uploads/2016/02/taisenshakshayn_1.jpg)
容姿
シャクシャインが首長をしていた「メナシクル」本拠地「シブチャリ」のあった「真歌公園」(新ひだか町静内)に、シャクシャインの銅像が立っています。 (↑銅像のある真歌公園の位置) 銅像の近くには、シャクシャインの記念館や民俗資料館もあります。 参考画像を貼りたかったのですが、素材がなかったので詳しくは以下wikipediaの画像をご覧ください。 [blogcard url=”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%B3″] 銅像のシャクシャインは、豊かで長い髭を蓄えた精悍な壮年といった雰囲気。 イラストもおおむね同じようなイメージですので、この銅像を参考にしている可能性は高いと思われます。 ↓銅像の顔部分がわかりやすい写真をのせているブログ記事。 [blogcard url=”http://hidaka-king.seesaa.net/article/390365668.html″] また、シャクシャインの戦いについての軍記である「松前蝦夷軍記」に、シャクシャインの容姿について以下のような記述があります。目なし曲(メナシクル)の大将しやむしや犬(シャクシャイン)と云者有しか、 身の丈七尺に余り、髪はたけとひとし、ほう髭胸にも身にも尽有。 眼は星の如く通力を得て偏に鬼形にことならす。比類なき曲者也。 (『北方史史料集成 第四巻』P278下段、カッコ内は記事用に注釈を入れたものです)「松前蝦夷軍記」が収録されている『北方史史料集成 (第4巻)』によると、この軍記は記述が事実とかけ離れていて信憑性に欠けるということですが、カードイラストではこちらのわかりやすいイメージを作れる記述を参考にしたのではないでしょうか。 他の軍記では、「座したまま動かず指示を飛ばすシャクシャイン」のような描写もあり、シャクシャインの3Dモデルが騎馬ではなく輿が使用されているのはこちらを意識したものかと思われます。
手に持っている木の杖
容姿のところでも述べた銅像が、イラストとよく似た木の杖を右手に持ち掲げています。 おそらくこれを参考にしたものと思われます。着ているもの
カードイラストのシャクシャインが着ているものですが、おそらくアイヌ民族の衣装の上に陣羽織を羽織っているのだと思われます。![taisenshakshayn01](https://sengokulife.com/wp-content/uploads/2016/02/taisenshakshayn01-300x193.jpg)
今日、らくがいていてふと気づいたのは、戦国大戦のシャクシャインが着ている萌え袖の正体は、蝦夷錦じゃなかろーか。シルエットはそのままで模様を変えている感じ。夷酋列像でも似た袖の服を着た人物が何人かいますだに。
— 赤崎いくや (@akasaki_198) 2016年2月24日
@damian_ngys 蝦夷錦は元はアムール川流域のものなので、仰るとおり中国っぽい模様が多いです。蝦夷錦の袖は夷酋列像よろしく手の甲も平も覆うような作りをしているので、私はあの萌え袖を蝦夷錦の形をした衣類に、アイヌ系模様を入れたものなのかなーと思ったんですよ。 — 赤崎いくや (@akasaki_198) 2016年2月25日
@damian_ngys もひとつ付け加えますと、テクンペ(手甲)にしては紐で結びとめているように見えなかった、というのもあります。ただ、作る人使う人の好き好きという面もあって、テクンペも色んな作りがあるので一概には言えないす。創作でも十分アリだと思うの。
— 赤崎いくや (@akasaki_198) 2016年2月25日
特に最後のツイートで添付していただいた画像での蝦夷錦と手甲(テクンペ)の比較は非常にわかりやすいのでぜひ確認してみてください。 [blogcard url=”http://photozou.jp/photo/show/555237/233781278″]@damian_ngys 手甲に関しては結び目よりも紐が見える感じです。私の解釈をてきとーに図解してみました。https://t.co/JjZai7V8Jp 手甲は日用品ですし色んなデザインがあります。ゲームの世界観もあるわけだしで、創作が含まれていてもイイんじゃないかなあとw
— 赤崎いくや (@akasaki_198) 2016年2月27日
手前にいる男女と少年は誰か?
シャクシャインの周辺人物からの推測ですが、シャクシャインの足の間にいる少年は彼の三男で蜂起する際に情報伝達役を担ったという「カンリリカ」、手前の女性はシャクシャインの娘で和人に嫁いだ「リカセ」の可能性が推測できます。 また、女性の奥にいる青年は、次男の「シュモッシュン」あるいは、リカセの夫で金掘(鷹待(たかまち)とも)「越後庄太夫」のどちらかではないかと思われます。 (3/1追記) 青年の顔を拡大してみたところ、髭の生え方がシャクシャインと似ていることから息子(=シュモッシュンか)ではないか?という指摘を大戦仲間の友人から頂きました。 以下に比較用拡大画像を掲載しておきます。![taisenshakshayn02](https://sengokulife.com/wp-content/uploads/2016/02/taisenshakshayn02-300x201.jpg)
年齢について
カードイラストのシャクシャインの年齢は、中年~初老くらいに見えます。 シャクシャインの戦いが起きた1669年当時、シャクシャインは64歳前後だったと言われているため、カードイラストはそれよりも若い頃のイメージであると推測できます。 称号部分に「東蝦夷首長」とあることから少なくともメナシクル首長に就任後と考えると、ハエのオニビシとの戦いで前首長・カモクタインが戦死した後にあたることから、1653年春前後ではないかと思われます。 1653年ごろのシャクシャインの年齢はおよそ48歳前後ですので、イラストの年齢ともおおむね合致します。余談:兵種がなぜ弓か?
シャクシャインの兵種がなぜ弓かということですが、これも単にイメージでつけられたものではなく、元ネタと思われる背景がありました。 じつはシャクシャインの戦いの際、鉄砲を装備していた松前藩の武士にたいして、アイヌは毒矢で応戦したという記録が残っているそうです。 (文献記述については見かけ次第追記します) このため、兵種が弓となったと推測されます。 また、特技の「疾駆」は、アイヌの弓が本州の武士が使う弓に比べ、小ぶりであったことが関係しているのではと思われます。 (小ぶり=身軽、動きやすい、といったイメージ) アイヌが使用していた毒矢にはトリカブトの毒が塗られていたと言われ、元来矢に毒を塗る習慣がなかった武士たちは、これの対応に苦慮したようです。 アイヌの毒矢に対抗しようとした松前藩の丈長の鎧は、北海道立博物館のシャクシャインの戦い特集コーナーで見ることができます。![taisenshakshayn03](https://sengokulife.com/wp-content/uploads/2016/02/taisenshakshayn03-152x300.jpg)