真田信繁を主人公に、乱世を生き抜く真田家を描いた2016年の大河ドラマ「真田丸」。
第1話、第2話では真田昌幸の主・武田勝頼が零落していく様子が鮮烈に描かれていましたが、
ここに本来なら、いるべきはずの人が実は出ていませんでした。
それが、勝頼の妻である桂林院です。
彼女は最期まで勝頼の供をしていたはず…なのですが、真田丸の該当シーンでは影も形もありませんでした…
その理由と、桂林院の簡単なプロフィールについて触れてみようと思います。
勝頼の妻、桂林院とは
桂林院は関東の雄・北条氏康の娘で、北条家四代目当主・氏政の妹。
母は氏康の側室であった松田憲秀の娘と言われており、
のちに上杉謙信の養子となって跡目争い「御館の乱」で敗死することになる上杉三郎景虎とは同母兄妹の模様。
桂林院は甲相駿三国同盟の破綻後、1577年に氏政と勝頼が再同盟した際に勝頼に嫁いだとされています。
勝頼は織田信長の養女で遠山直廉の娘を最初の妻としていましたが、彼女が亡くなったため、桂林院を継室として迎えたようです。
当時勝頼は32才、桂林院は14才なので、実に18才も離れた年の差婚ですね。
その後、1578年に起きた御館の乱において勝頼が桂林院の兄妹である上杉景虎から上杉景勝支持に切り替えてしまったことで形成が悪化して景虎は自害。
再度北条家と武田家は険悪となり、勝頼は彼女を離縁しようとしましたが、
桂林院はそのまま武田家を離れませんでした。
武田が滅亡寸前になった時にも勝頼は彼女を北条家へ返そうとしたようですが、
御館の乱で武田家が上杉景虎を見捨てたことを理由に「今更北条家に顔向け出来ない」として武田に残る道を選びました。
天目山の勝頼の最期にも同道し、先に自害した彼女の亡骸を前に勝頼はしばらく呆然としていたとか。
桂林院が真田丸に出なかった理由はもしかすると真田一族との対比のため、
勝頼が一人であった、孤独であったという表現の強調のためではないかな、と私は想像しています。
付き従う奥さんがいたら、泉下の信玄に「叱ってくだされ」と向き合うあのシーンを入れるのが難しかったのではないか、
おそらくそんな理由ではないでしょうか。
真田家の話だから地方武家の扱いはイマイチ?
そもそも真田丸は真田家の話なので、必然的に真田家の描写に重きが置かれています。
このため、真田家と関わっているとはいえ、他の大名家の描写が少なくなるのは仕方がないことなのかもしれません。
(たとえ主の武田家であっても)
他の有名どころ大名家ですと、上杉家も3話の段階では名前が出たりちらりと映る程度でカットされていました。
また、北条家もこれと同等程度の扱いでした。
一方で、上杉家の魚津城が織田家に攻められて危ないという話や、
北条氏政の汁かけ飯の逸話ネタを「分かる人には分かる」形で演出していたので、
全くのモブ扱いというわけでもありません。
北条家については名胡桃城奪取~小田原合戦のあたりで否が応でも出てくるでしょうし、
上杉家についても信繁が人質に行くことから、必ず出てくると思われます。
今はまだ、メインではないからこの扱いなのかな、と納得するしかないかもしれません。
ちなみに、大坂の陣で真田信繁と大いに関係する徳川家康の周辺は序盤から印象付けたいのか描写が多い気がします。
女性にかぎらず、人物の描き方がわりと極端
最期に、逆に桂林院が出なくてよかったかも…?と思った要因についてまとめてみます。
3話までの段階で、信繁の母や信幸の妻などは極端に無力な人物として描かれています。
また、信幸の扱いも、昌幸の策士ぶりを引き立てるためではあるが、
見る人が見たら無能扱いにも見えなくもない様子です。
このあたりは、おそらく「ドラマとしてのおもしろさ」のために真田丸が犠牲にした部分ではないでしょうか。
現段階ではそのバランスが上手く取れているので、筆者としては面白いなと思って視聴していますが。
もし桂林院が出たとしても、その最期からそういう人物には描かれなかっただろうけど、
出なかっただけ微妙な人物として描かれる可能性が否定された分マシ…ということでしょうか。
ともあれ、真田丸の今後の動向に期待です。
桂林院についてもっと知りたい方へ
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