「戦国大戦-1590 葵 関八州に起つ-」追加のカード、土居清良。
笑いを誘う撤退・落城セリフのためか一部でギャグキャラ(?)としても人気を博している彼ですが、実は史実のことをよく知らなかったのでイラスト・セリフの元ネタがないか調べてみることにしました。
そう!( ゚д゚ )彡 烈火のごとく!
今回は、群雄伝の方も少し調べてみました。
土居清良は長宗我部伝の「二章四話」「三章二話」に登場します。
群雄伝のイベントリストはこちら。
http://www59.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/1542.html
なお、調べた内容についてはあくまで筆者が勝手に推測したものです。
公式発表や絵師さんによる解説ではありませんのでご注意ください。
土居清良とは?
カード裏テキストにもあるように、伊予国(愛媛県)宇和島の領主であった西園寺氏の配下の武将です。
幼名は「虎松」。
名は戦国大戦では「せいりょう」と読ませていますが、「きよよし」とも呼ぶようです。
領地は愛媛県宇和島市三間町。
このあたりは昔からよく米が取れ、米の産地として有名でしたが、その基礎を築いたのが土居清良とその配下であった松浦宗案と言われています。
(松浦宗案については、実在していたかわからないという説もあります)
土居氏は、猛将と名高い祖父・土居清宗をはじめ、一族で西園寺氏に忠節を尽くしていました。
清良の父は土居清宗の三男・土居清晴でしたが、勢いをます大友宗麟の軍に攻めこまれた際のことを考え、清良は伯父で清宗の嫡男・土居清貞の養子となったといいます。
そして1560年9月、ついに大友宗麟が攻め寄せ、石城の戦いで清良の祖父(清宗)・伯父・実父らは奮戦の末討死、15歳だった清良は祖父の遺言を預かった祖母・妙栄に逃され、土佐の一条家に庇護を求めて落ち延びました。
この時、清良の家族は妹1人と伯父・清貞の子・良元(=水也?土居水也はのちの『清良記』の編纂者)を除き皆自害したということなので、戦の壮絶さが伺えます。
家族を失った清良は一条兼定の家臣・土居家忠(=宗珊。同族であるとも)の元で逼塞すること2年、三間に帰った清良は西園寺氏への服属を表明。
これに怒った一条氏が攻め寄せますが、清良は撃退しています。
一条氏が攻め寄せてくるのは秋の収穫期が多く、稲穂を奪われることに清良は頭を痛めていました。
そこで清良は重臣で農業に詳しい松浦宗案に案を求め、早稲(わせ)種の栽培を行い収穫を早めることで稲の略奪を防いだと伝わります。
以降、清良は一条氏や長宗我部氏が攻めてくるたび、持ち前の機転と統率力で追い払っています。
戦国大戦での統率が9もあるのは、これに由来したものではないかと思われます。
長宗我部氏との戦いでもっとも大きいものが、長宗我部伝二章四話でもある「岡本城の戦い」です。
清良はこの戦いで長宗我部氏の重臣・久武親信(久武親直の兄)を討ち取っています。
秀吉の全国統一の過程で西園寺公広が南予の領主の地位を追われると、これにあわせ、清良も42歳で隠居。
以降、宇和島の領主となった藤堂高虎の招きを受けましたが断り、農地と共に生きる隠遁生活を送りました。
1629年に84歳で没した後、その人徳を慕う三間の人々によって「清良神社」が作られ、今では神様として親しまれています。
土居清良の人生の細かいことについてはWikipediaをご参照ください。
また、児童書ですが『土のさむらい』という小説も非常によく清良のことをコンパクトにまとめています。
(参考文献の所にリンクしておきました)
陣羽織の鳥の柄
土居清良の土居氏は、元は源義経に仕えた鈴木重家の子孫と言われています。
そしてこの鈴木氏、実はあの雑賀衆の頭目「雑賀孫市」こと鈴木重秀と出自が同じ鈴木氏だというのです。
つまり清良と雑賀孫市は遠縁の同族ということになります。
このことから、清良の陣羽織に描かれた鳥は雑賀衆のシンボルでもある「八咫烏」から、同族ということで同じモチーフである「鳥」を意識したものなのではないかと推測されます。
出自に関しては、清良の祖父・土居清宗のWikipediaにも解説があります。
旗印の家紋
土居家の家紋については、土居清良の活躍を描いた軍記物語「清良記」に以下のような記載があります。
旗の紋は楓(カエデ)なれども、差し物小旗は、丁字の丸の上に三足のカラス二羽あり。
(松浦郁郎校訂『清良記 巻の一 一、清良根元先祖の事』1P目)
イラストの右肩後方に掲げてある旗印にも、丸に楓の紋が描かれています。
鉄砲隊
清良と長宗我部氏との戦いのうち、最も大きかったという岡本城の戦いで清良が率いたと言われる鉄砲隊を意識したものでしょう。
清良は四国ではまだ普及が進んでいなかった鉄砲をいち早く取り入れ、調練に励ませることで幾度と無く攻め寄せてくる長宗我部軍を追い払ったといいます。
熟練度アップ
智は力なり
熟練度アップのこのセリフも、土居清良の活躍を描いた軍記物語「清良記」に出典があると思われます。
清良記は一般に、土居清良が松浦宗案に農業のことを聞き、
それをまとめたという第七巻「親民鑑月集」が一番有名です。
熟練度アップセリフの元ネタらしき箇所もこの七巻に収録されています。
以下、該当の箇所を引用します。
(原文)
農夫楽の事
去程に、田夫にも三徳なけれはならす。先時節を考へ、万作相応の土地を見知、兼て水旱の年を考へ、予め其構へある所は智なり。(現代語訳)
十一、農民の楽しみについて
農民にも、人として守るべき三つの徳が必要である。まず第一には、一年間の季節を考えて作物の適期を確かめ、それぞれの作物にあった土を区別し、更に水害や旱害の年があるかもしれないと予測してあらかじめその対策をたてておく。これは農民に必要な「智」である。(日本農書全集10 清良記・農術鑑正記・阿州北方農業全書 P139)
ちなみにこの文は、清良に農業のアドバイスを行っていた老臣・松浦宗案が、清良のいとこで土居家の執権をつとめていた土居左兵衛に宛てたものになります。
「親民鑑月集」は日本で最古の農学書ともいわれていますが、エピソードの脚色等が見られることから、信憑性については少々慎重を期す必要がある書物とのことです。
↓清良記について
長宗我部伝四章三話: 谷忠澄とのイベント
谷忠澄が拾った走り書きに対して以下のようなセリフを言うイベントがあります。
「なんと!田起こしから代掻き、
苗代の育成に至るまで丁寧に記してある!」
※代掻き(しろかき)…田起こしした田を水を張ってかき混ぜ、平らにする作業
これに対し、清良が、
「それを返し願おうか……」
「如何にも。私にとっては、命にも等しい律令にござる。」
と返していることから、おそらくこの走り書きは『清良記』の7巻に関わる内容なのではないかと推測されます。
(松浦宗案に作らせていた季節ごとの農作物のメモだろうか)
この記事の参考文献・サイト
「土居清良史料館」:訪問時間帯によってはちょっと奇っ怪な画像が並んでいるとっつきにくいサイトだが情報はとても濃厚。
清良の一代記や土居清良の鎧や居城・神社の散策マップや資料情報が豊富。清良愛用の煙草盆やいろり石の写真もある。
(サイト名が文字化けしていますがリンク先では普通に見れます)http://www.geocities.jp/megu798/seiryo/Top.html(ブログサービス終了のためリンク解除)
「清良の菴(きよよしのいおり)」:「清良記を紐解く会」のブログ。かなり専門的。
清良記と岡本合戦について考察している記事。
・『土のさむらい』
土居清良の人生と、清良記・清良神社の成り立ちがわかりやすい小説。児童書なので非常に読みやすい。
・『清良記』松浦郁郎校訂
土居清良の軍記・清良記。全巻収録だが、書き下し文のみで現代語訳は付属していない。
(地元出版社発行で書店購入などができないらしく、リンク掲載できず。大元の印刷所や「日本の古本屋」などには在庫があるようです)
清良記の七巻「親民鑑月集」のみを抜粋したもの。
他にも元ネタらしき部分を見つけた方はぜひコメント等で教えてください。
◆土居清良にまつわる逸話