乃至先生のお返事
ブログ拝読しました。「戦国大戦」に拙論が参考にされたのなら名誉この上ないことです。『米沢家譜』ですが、『上杉家譜』とも称されます。徳川時代の文献で、宇佐美「定行」が登場する点から信憑性は高くないのですが、三分一原に離反者がいて為景が勝利する筋書きは、→
— 乃至政彦 (@naishimasahiko) 2015, 9月 1
→多く見られます。それほど有名だったのだろうと思います。「越後過去名簿」は『新潟県立歴史博物館紀要9号』で確認できますが、たいへん注目されている史料です。近年高野山の史料が調査され、戦国時代の有名人物の没年月日や実名など大きな発見が相次いでいます。→
— 乃至政彦 (@naishimasahiko) 2015, 9月 1
→『上杉氏年表』のあとで発掘された史料で、謙信の家族構成も一から見直す必要が生じています(なぜか為景の没年だけこっそり示唆されていまる様子です)。見直すべき情報量が多いので、まだ上杉氏の研究界でも消化しきれていないのではないでしょうか。上条氏については→
— 乃至政彦 (@naishimasahiko) 2015, 9月 1
→見直しの機運があるようで、今後の研究発展を楽しみにしています。この過去名簿に「常泰泰林永安 上杉ハリマ守 天文五 四月廿三日」とあるのが上条定兼ですね。三分一原が為景の敗北というのは、井上鋭夫氏以来の通念ですが、わたしは違うと見ています。
— 乃至政彦 (@naishimasahiko) 2015, 9月 1
以上4ツイートにわたる回答、ありがとうございました!
三分一原と為景、今後も研究から目が離せません。
※2018追記:回答頂いた際のtwitterアカウントを閉鎖なさったようなので、引用はそのままのこしてありますが、リンクは解除しました。
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