
過去の傷がうずくとき
過去に受けた「嫌な出来事」と似たようなパターンに遭遇した時、 人は過去の傷がうずいて嫌な気持ちになる。 まるでその時に戻ったかのように。 私の例で恐縮ですが、 中学生ぐらいのころ、からかわれるのに使われていた言葉やその時のノリ、 そういったものを他人から向けられると、 親しい人であってもなくても、距離感にかかわらず拒否反応が出てきます。 もうその時から10年以上は経っているというのにです。 もう傷は癒えた、気にしていない、私は大丈夫だと思っていても、 どうして「あの嫌な出来事」と似たものに直面すると、そういう反応が起きるのでしょうか?身体は「あの時」受けたダメージを再演しようとする
その理由については、以下の記事が詳しいです。 (参考記事) [blogcard url=”http://sakuramiruku.seesaa.net/article/129146202.html″] 専門的な用語では「トラウマの再演」と呼ぶこともあるみたいですね。 簡単に言ってしまうと、「過去に受けて癒やしきれなかった傷を似た場面に遭遇した時に、今度こそ癒そうとして当時と同じ感情を発生させている」ためです。 また、アドラー心理学を世に広く知らしめることとなったベストセラー『嫌われる勇気』には「トラウマは存在しない」としながらも、 以下のような説明があります。哲人:もちろん、傷を負った人の語る「あなたには私の気持ちがわからない」という言葉のは、一定の事実が含まれるでしょう。苦しんでいる当事者の気持ちを完全に理解することなど、誰にもできません。しかし、自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになります。 (岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』P90)こちらはどちらかというと、「トラウマの再演」に延々と気づかずに繰り返して自己防衛を続ける(過去の対処法を取り続ける)といった内容です。 さながら自分の中で、過去の傷を受けた事柄を「とても重大な危機的状況である」と扱い続けているのと同じ状態で、これはより重度の「トラウマ」であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のメカニズムにも通じる物があります。 PTSDの方も、記憶を司る「海馬」がうまく「出来事を過去のものとして認識しない」ことによって「脳がいつまでも過去のその時が終わらないと錯覚している」ため様々な弊害が生じる状態なのだという説明を読んだことがあります。 以上の説明でお分かりかと思いますが、過去に受けた傷がうずく時というのは自分(理性)がしようとして、わざとやっているものではないのです。 身体(本能)の部分が、「前に起きた危機的状況と似ている」と判断して自動的に反応している、いわば動物的なもの。 で、最後に、それをどうすれば止められるのか、という話になります。 [adrotate banner=”6″]