察してちゃんになってない?「言いたいことが言えない」という時

メンタル・働き方1
察してちゃん

私はいわゆる「察してちゃん」というやつが嫌いです。

「察してちゃん」とは、簡単に言うと自分の意見や言いたいことがあるのにそれを伝えずに「相手が自分のしてほしいことを察してくれるだろう」と無条件に期待しているというもの。

察してちゃんになってしまっている人は、主張してもいない自分のしてほしいことorしてほしくないことを満たしてくれなかった時に烈火のごとく怒りだすのも特徴です。

「なんで〇〇してくれなかったの!?(〇〇したの!)」と。
しかも満たしてあげたところで感謝はされません。
察してくれて当然、それが普通でしょ?と思っていますので。

実を言うと、うちの母親とかがこのタイプで、長年振り回されてきました。
くわえて、トラブルになって揉めた相手も大抵この「察してちゃん」が多かったんです。
そういう理由で、私は「察してちゃん」が苦手ですし、できることなら「してほしいこと・やってほしくないことはちゃんと言う」「察してもらうことは期待しない」ことを心がけるようになりました。

が、ここ最近、自分がこの「察してちゃん」になってないか?と心に引っかかることがありまして。

人と話していて「これ言ったら嫌われるかな」「引かれるんじゃないかな」と思ってだんだん言いたいことが言えなくなり、言えないのは自分自身が選択した「言わない」という行動の結果であるにもかかわらず、「なんか言いたいこと黙ってない?怒らないから言ってごらんよ」と言われることを他人についつい期待していたんです。
自分から「ちょっと言いたいことがあるんだけど聞いてくれる?」っていう勇気が出ない状況ですね。

ふとこれを自覚した時に思ったんです。
「これって自分が大っ嫌いな「察してちゃん」になってしまってないか?」と。

この傾向、「言いたいこと我慢してるって察してくれよ!」と思う相手とは距離感が近くなればなるほど、顕著になります。
たとえばTwitterで一度も会話したことがないフォロワーさん相手にそこまでのことは思ったりしませんし、自分が発言した内容が気に入らなくてその人が離れていったとしても「ああー悲しいなー私とは合わなかったんだなー」程度です。
もともとそこまでの関係じゃなかったんですからガチ凹みまでは至らないんです。
よく喋る相手、それこそ親だったり、兄弟だったり、オフラインで付き合いのある友人だったり、大抵距離の近い人にしか発生しません。
おそらく「甘え」の一種なのだと思います。

ちなみに、余談ですが私は他人に向かって「それは甘えだ」と言い出す人も察してちゃんの一種だと思っています。
自分がやってほしくないと思っていたこと(例えば遅刻とか、納期を守らないだとか)を破る人に「甘えだ」「常識知らず」とポジショントークをかますのも、
ある種「自分が常識だと思っていることは、お前も守るべきだ、それくらい察しろ」と言ってるのと同じことですしね。
「甘え」は本来悪いものでも、他人を断罪するような言葉でもありません。
俗にいう、「社会人の常識」を振りかざしてくる人もこのタイプと思って間違いないでしょう。
常識や慣習を盾に殴りつけるだけでは双方益がないですし、正直殴りつけてる側の自己満足でしかないので、感情的にこじれて結局泥沼化します。

で、この「親しい人に言いたいことが言えなくて察してちゃん化する」問題、モヤモヤしたまま放置してまた起きるのも嫌なので、どういう理屈で起きるか少し分解して考えてみることにしました。
以下、まとめておきます。

言いたいことがなぜ言えなくなるのか

まず、言いたいことがなぜ言えなくなるのかのプロセスについてです。

人と人が知り合うと、大抵は「他人」「知り合い」からスタートするのでお互いには「遠慮」「気遣い」がありますよね?

この段階では、よほど馴れ馴れしい(良く言えば人懐っこい)タイプの人でない限り、どこか「よそよそしい」親しさの表現になり、発言なども「相手を傷つけないように」配慮したものになります。

ところが段々親しくなっていき、心理的にも、身体的にも近づいていくと、「このくらいなら言っても大丈夫」という安心感が出てきます。
「多少ぶっちゃけたことをしても、拒絶されないだろう」「そのくらいはこの相手に気に入られているだろう」という信用ができてきます。

そのくらいの距離感になると、相手もこちらに気を許して、冗談でふざけてきたり、からかってきたりといったこともあるでしょう。
「おまえバカだな~」とか、知り合ってすぐの人に言ったら顰蹙ものですが、付き合いの長い親友に言うぶんには逆に親しさの現れでもありますよね。

が、このぐらいの距離まで近づいてくると、「言いたいことが言えなくなる」タイプの人間は心のなかにひそかにモヤモヤを抱えます。

「こんなこと言って、怒られないかな」「気になるから言いたいけど、言ったら嫌われそう」などなど。
「仲良くなったのは良いけど、言いたいことを言ってしまって嫌われたら立ち直れなさそう」というやつです。

相手を信頼できていないので、「これくらい言っても嫌われないだろう」「相手は嫌な思いをするかもしれないけど、正直な気持ちを伝えたい」というコミュニケーションが取れません。
信頼できていないというよりは、信頼するということを学んでこれなかった、と言い換えてもいいでしょう。
なので、「おまえバカだな~」みたいな冗談一つ飛ばせないんです。
「は?お前にそんなこと言われる筋合いないんだけど?(真顔)」っていう対応が怖いから。
私は見事にこのパターンです。書いててだんだんつらくなってきましたw

このモヤモヤを抱えだした「言えない」タイプの人は、親しい相手であっても、いろいろと思うことを伝えられなくなっていきます。

とくに、ネガティブな内容を。
「今日つらいことがあったんだ」とか「ほかの人の愚痴」ならまだ平気でも、「仲良くしているその相手の気に入らない所」になるともうダメです。

たとえば、「時間にルーズなのが許せない」とか「口先だけのやるやる詐欺野郎が!」とか「いつもいつも調子のいいこと言って!」とか「とにかく態度が気に食わない」とか…
以下エンドレス。こういう時って湯水のごとく止まらないんだな~

ひどくなると、「なんで私がこんなにしんどいのにあんたは楽しそうなんだ!」みたいな理不尽な怒り方までし始めます。こうなるともう自分でも意味不明です。
相手からしたら「はい!?何罪ですか、楽しく人生を送ってる罪ですか!?」ですよねぇ…(元ネタ:ドラマ『SPEC』)

こうして「言えないわたし」は立派に「あなたに対して言いたいことが言えないつらい!察して!」という察してちゃんと化していき、どんどんその相手と話すのが辛くなります。

「友達だったはずなのに、話しててつらい。息苦しい」「家族のはずなのに、相手するのに疲れた。大事だと思えない」みたいな。

では、いわば思考回路が「察してちゃん」化してしまった我々は、どうしたら良いのでしょう?
(もちろん、目に見える形で「察してちゃん」になって「察してよ~~~」とかやり始める以外の選択肢で)

本音を伝えたところでそこまで問題は起きないものである

よく言われていることですが、思ったより人は他人ってのはあなたのことについて関心がないものです。悲しいことながら。

このため、どんなに察しのいい人でも、自分以上に自分のことをわかってくれる!なんてことはないわけで、
察して!と思ってることは「口に出して」「その人に分かるように」言わないと大概のことは伝わりません。友人しかり、親子しかり。

よく「親の心子知らず」とか、「自分の子のことはなんでも分かるわ!親だもの!」とか「あの親が考えてることなんか手に取るようにわかるぜ」みたいなことを思ってしまうことがありますが、残念ながら幻想です。

黙ってても他者のことが100%分かるなんてことはありません。

親子といえども別の人間なんです。100%分かったら逆に恐ろしいです。
貴様はサトリのSPECでも持ってるんか!?と思ってしまう。(またSPECネタ)

「あなたのことはなんでもわかるわ」という発言は、こちらを「支配している対象」として見ているか、自身を「投影」しているから「分かるような気がしている」だけです。
そういう相手って、自分に気に食わない行動をしだすと「こいつは自分に支配されているはずなのになんでだ!?」とパニックになって「お前はおかしい!」と言い出します。

察して!と思ってることは口に出して言わないと伝わらないと書きましたが、「その人に分かるように」言うというのが重要。
通常私たちは日本語を話し、会話もでき、意思疎通ができているように見えていますが、本当はそれぞれの人が別の言語で話している、と考えてもいいくらいです。

それくらい、個々人が考えていること、常識だと思っていることは異なります。ニーズも異なります。
いっそ、日本語という言語でかろうじて最低限の意思疎通が図れている、くらいに思っておいたほうが、「どうして伝わらないの!」は避けれます。

仲良くなってきたから~、家族だから~といってこの前提をすっ飛ばし、
「言いたいことが言えない!それを察してくれない!」と相手に原因を求める姿勢というのは、「相手が悪い!」と言っているようなもの。

二人の関係性を、「かわいそうなわたし」「悪いあの人」の関係としてとらえてしまっているということです。
(「かわいそうなわたし」「悪いあの人」という考え方は、『嫌われる勇気』の続編『幸せになる勇気』で紹介されていた考え方です。詳しくはP70辺りをご参考ください)

こういう考え方に支配されてしまっている時にその人と話しても、おそらく楽しい会話はできないでしょう。
なんといっても「わたし」は「かわいそう」で、「あの人」は「悪い存在」じゃないといけないわけですから。
もう、不毛としか言い様が無いですよね。

『幸せになる勇気』では、こういった関係に陥った際は「これからどうするか」を考えてみることを推奨しています。
この場合で言えば、「言いたいことが言えない」「相手のいいようにされている気がする」「察して欲しいという自分のニーズ」という「現状や過去」を一旦脇において、
「これから」という具体的な未来のことを考えることで、
行き詰まりを打破することができるというものです。

ただ、「これからどうするか」をいきなり考えろと言われても難しいですよね。
だって「やっぱり言いたいことが言えない」わけですし。

なので、いきなりこれからのことを考えるのではなく、まずはちょっと立ち止まって、
「自分はなんでこんなに不満を持っているのか?」に注目することで、狭まってしまった視野を少し落ち着かせる時間を持つのはどうでしょうか?

一度深呼吸して思いとどまり、
「相手に対して「察してちゃん」化してないか?」と胸に手を当てて考えてみると、
「あれ?これ別に言わなくてもいいかな?」「別にそこまでムカつくことでもないかな?」「言うほど無理してるわけでもなくない?」「本当にしてほしいなら言えばいいんじゃない?」と案外冷静になれるものです。

言いたいことが言えなくなり、「だんまり」しちゃう問題

自己主張がしっかりできるタイプの相手を目の前にするとつい黙りこんでしまって、
言いたいことが言えなくなり、
察してちゃん化してしまう…というタイプの方には、以下の記事も参考になります。

この記事、読んでいて「まさにうちの母親にとって欲しかった行動だなぁ…」と思ってしまいました…(笑)
特に、引用元のTogetterにあった、

でも、家庭内にルール無用の暗黒部分が存在したり、親の気分でコロコロと対応が変わったりすると、子どもは不安定になる。いつも親の顔色をうかがいながら判断せざるを得ない。こういう環境で育った子どもは自分の中に善悪正否を判断するロジックが育たず、常に自分の判断に自信が持てなくなる。

— mentane (@mentane) 2016年2月17日

については首がもげるほど頷きました。

結局のところ、「言いたいことが言えなくなる」のも、「自分が発言することに自信が持てない」からなんですよね。
これを治していくのはなかなか難しいものです。
私もまだまだ途上です。はやくにんげんになりたい。

著:岸見 一郎, 著:古賀 史健
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