周りが是としていることに異を唱えるのは難しい。
同調圧力の強い日本ではなおさらだ。
聡明な人ほど、実は狂っているのは自分なのかもしれないと感じることだろう。
そんな「大人の発達障害が抱えている得体の知れない違和感」の正体を教えてくれたのは、
『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー)』という本で引用されていた当事者の言葉だった。
最近診断される人が増えている影響か、さまざまな大人向けの発達障害の本が出ている。
しかし、たいていの本は外側を撫でるような説明しか載っておらず、ズレ感を根本的に理解するという意味ではあまり役に立たなかった。
大人の発達障害には、まったく他人の言葉や状況が理解できないほどに障害が重い人から、
訓練でなんとか普通の人に擬態できているので周りからは気づかれないが本人が疲れ果てている軽度の人まで、本当に様々いる。
私はどちらかというと後者に近いらしい。
こういう人はグレーゾーンや、発達障害の傾向あり、といった表現で呼ばれる。
周りは困りにくいが、本人が抱え込みすぎてぶっ倒れやすい。
だからこれ以上苦しまないために「自分が何ができないか」「どこがズレているのか」を明確にする必要があった。
同時に自分が長年何に苦しんできたのか、知りたかった。
それに答えてくれたのがこの本というわけだ。
どんな本?
1000例以上の当事者を現場で臨床を行ってきた精神科医が、
・大人の発達障害とはなにか
・大人の発達障害が周囲と起こしやすいトラブル
・大人の発達障害が抱えやすい不調や不適応
などについて書いた本だ。
自分の抱えているモヤモヤとした「周囲との合わなさ」をスッキリさせたい人には読んで欲しい。
どういう仕組みで辛くなる現象がおきるのか、自分の活かし方、そういった建設的なことを考えるのに役立つ。
過集中に関連する内容で一例を見てみると、こんな感じである。
疲労を例にとって説明してみましょう。ハイコントラスト知覚があるアスペルガー者の場合、実際の状態はどうあれ、感覚としては「元気いっぱい」と「疲れ果てて動けない」のどちらかしかない、ということになります。
このため「元気いっぱい」と「疲れて動けない」の間にある、「万全ではないものの元気はある」「ふつうだ」「だるい」「疲れてきたが動けないほどではない」などの、微妙な感覚を自覚しにくくなるのです。
すると、多少疲れていても「元気いっぱい」で好きなことをしてしまい、その結果として疲労がたまると、突然「疲れて動けない」状態になります。
(中略)
この”だらだらどんより”している状態は「うつ状態」と誤診されることがよくありますが、これは必ずしも「うつ」とは限らず、自己モニターの障害から来る問題なのです。
『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー)』 P86-87
心当たりはないだろうか?
私も過集中でなんども120%頑張る→ぶっ倒れるを繰り返してきたが、
それが「ハイコントラスト知覚」と呼ばれる自己モニター障害に由来するものだと初めて知った。
ただ、この本に「あなたは悪くありませんよ」「特別な才能があるはず!」みたいなことはほぼ書いてないので、
明日に甘い夢を抱いていい気分になりたいときに読む本ではない。
もちろん発達障害の抱える苦しさを理解するために有用な一冊だし、
勇気づけてくれる面もあるのだが、
論理的な方面からのアプローチとなるので、
感情のケアをしてくれる本を求めている場合は、別の本を読んだほうが良い。
共感という魔法に掛かっている定型発達人たち
この本を読んで、一番共感したのが以下の引用されていた当事者の言葉だった。
他の(発達障害ではない)人たちは、共感という一つの大きな魔法にかかっていて、
自分だけが魔法の影響を受けなくなる呪いをかけられているみたいです。そのためにみんなからのけ者にされているような感じがします。
みんなは、ありもしない魔法のお城で楽しそうに暮らしているのに、
自分にはみんなが幻覚を見ていて、自分だけが正気でいるようにしか思えない。でも、そう思うのは自分だけだとすると、論理的に考えて、私の方が狂っているはずだということは自覚しています。
狂っているのはそっち(定型)なのでは?
もう何度私も思ったことだろう。
この当事者の人が目の前にいたら思わず拍手を送り、握手してサインをねだりたいくらいだ。
他人が付き合ったとか破局したとか、仲いいとか悪いとか、テレビ番組がどうとか、
こちとら1ミクロンも楽しくもない会話を楽しんでいる周りの大勢を見て、
学生時代に「こいつらとは全く話が合わない」とよく思っていた。
コミュニティや関係を維持するために行う挨拶や表面的な共感なんて本当に不要だと思っていたのだ。
実際は、彼らからしたら大丈夫じゃなかったのはこちらの方で、
それがなんとなく発達グレーゾーンゆえに空気でわかるので、仕方なく一般人を擬態していた。
でも生粋の一般人じゃないから、よほど気をつけていてもボロがでる。
自分の価値観を表に出していきいきとできなくなった頃がいつだったのか、私はもう思い出せない。
そんな風に自分の判断が「一般人ぽくなってるか?間違ってないか?」と四六時中疑いながら、周囲に合わせて生きているのだ。
こんなの精神を病まないほうが不思議ではないか?
だから、先程の引用文を読んだ時、心がほっとした。
「ああ、この辛さを抱えてたのは自分だけじゃなかったのか」と。
地球人に擬態した火星の人類学者が生き残る術
よく、発達障害者は宇宙人に例えられる。
ちょっと自虐的に、宇宙人を自称している場合もある。
ちょうど「「ちょっとしたことでうまくいく」と、個人的な英語習得経験」というブログ記事で面白い比喩があった。
こちらでは、「火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)」という小説の登場人物に、
発達障害が持つ「定型発達の人が明示された言葉なしに共有できる感情や行動・規範」を、学者目線で学んで実践していくことになぞらえている。
そう。私達は「火星にすむ人類学者」なのだ。
魔法に掛かれなかった狂人じゃない。
宇宙人だったんだ。
そりゃ言葉も文化も通じない。
男と女だって、異星人ほどに違うっていわれてるくらいなんだし。
だから、合わせられるところは地球人を学んでその行動に合わせてみてもいいし、
無理だと思ったら、ギブアップしてもいい。
『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー)』の方にも、「火星の人類学者」が生き残るための術がいくつか紹介されている。
社会性を訓練して就職しよう!みたいな耳にできたタコでたこ焼きが作れるほど聞き飽きた言葉は載っていないので、
私みたいな皮肉屋の人類学者諸兄も安心して欲しい。
かつて聾者に手話が禁止され、読唇が強要されたことと、支援がときとして「人の心を理解する」ことの強要になってしまうこととの間には、本質的に同じ構造があると私は感じています。
聾者には手話による聾文化があるように、アスペルガー者にはアスペルガー文化があります。
重要なのは、アスペルガー者を健常者に見せかけることではなく、アスペルガー文化をエンパワーメントすることなのです。
※聾者=耳の聞こえない人のこと
世界はグラデーションに満ちている
いいところばかりを紹介してきたが、この本には欠点もある。
どうしても筆者が医師という立場だからか、
あるいは発達障害者の生態を説明した本だからかはわからないが、
定型発達者VS発達障害者という二項対立的な書かれ方なのだ。
冒頭でも述べたとおり実際には発達障害にも症状にばらつきがあるし、
定型発達の人にもいろいろなタイプがいる。
2つを比較するという書き方の都合で、本書ではこれらのグラデーションがぶった切られた格好だ。
でもよく考えて欲しい。
これって、昨今話題になっている様々な事象と似ている。
性別(セクハラ問題)、セクシュアルマイノリティ(LGBT)、所得の多い少ない、独身か既婚か、パートナーを持つか持たないか…
世界には様々な「違い」が溢れているが、そのどれもがグラデーションだ。
発達障害を抱える人も、他の面では多数派の点を持ち合わせていたりする。
世界にあるこういう「違い」を認識した上で、
自分がどこにいるのか、
自分はどういう感覚を持っているのかを、
感覚に頼ること無くあえて言語化してみることの大事さ。
それが大人の発達障害者が、少しでも生きやすくなる方法だとも実感させられる一冊だった。
理論的に書いてあるため冷たい感じがする人もいると思うが、
自分と普通の人を隔てている壁がなんなのか気になっている人はぜひ読んでみて欲しい。
◆参考にした記事
【まとめ】アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 〜その4 その他の不適応〜
本書の詳しい内容まとめ。本書を読むきっかけとなった記事。
かなり詳細にまとめてくれているので本を読むのが面倒な人にもおすすめ。
「ちょっとしたことでうまくいく」と、個人的な英語習得経験|未翻訳ブックレビュー
大人の発達障害=火星の人類学者という見方を紹介している記事。