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相撲はいつから国技・女人禁制になったのか?女性は土俵降りてのアナウンスの問題点
- 2018/4/5
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京都舞鶴市で行われた大相撲春巡業で舞鶴市長の多々見良三氏がくも膜下出血で倒れた件が世間を賑わせているようですね。
事件の概要はこんな感じです。
大相撲の春巡業が4日、京都・舞鶴文化公園体育館で行われ、あいさつをしていた多々見良三舞鶴市長(67)が土俵の上で倒れた。スタッフや観客らが心臓マッサージなどを施したが、その中に含まれた女性に対して土俵から下りるようアナウンスがあった。場内アナウンス担当の若手行司が、周囲の観客にあおられて慌てて口走ってしまったという。市長は命に別条はないが、精密検査を受けるために舞鶴市内の病院に入院した。
(日刊スポーツ 大相撲の八角理事長が女人禁制の土俵騒動でコメント より)
しばしば「相撲は国技なのになにをやっているんだ」という話も聞きますし、
この件に関しても「人命救助が大事とはいえ、女人禁制なのが古くからの神道のルールなら、
行司がとっさに女性は土俵から降りるようアナウンスしてしまっても仕方ない部分もあったのでは?」という意見も目にします。
そもそも、どういう経緯があって国技化したのでしょうか?
また、本当に昔から相撲や土俵は女人禁制だったのでしょうか?
疑問に思い調べたところ、驚きの事実が浮かび上がってきましたので、まとめておきます。
本記事のまとめには北海道教育大学リポジトリに掲載の吉崎祥司氏・稲野一彦氏「相撲における「女人禁制の伝統」について」を参考にさせていただきました。
Contents
相撲が国技になったのは明治時代から
相撲ははるか昔、日本が出来た頃からの国技なのでしょうか?
そうではありません。
相撲が日本という国の国技として扱われるようになったのは、実は明治時代のこと。
しかも、明治時代のはじめは相撲が衰退していき、
神社境内での興行をすべて禁止になるなど苦境に立たされる事態に陥っていたといいます。
しかし、鹿鳴館完成の翌年に天覧相撲(天皇家に見てもらうための相撲)が行われたこともあり、
欧米列強に立ち向かうために明治政府は1909年(明治42年)に相撲を国技として定めます。
こうして、「国技」の相撲が出来上がりました。
その後は、外国人が日本を訪れることが増えたため、常設の興行場として国技館が設置され、今に至ります。
興行で収入を得るにもかかわらず、「神聖な武道」であるという現代に続く立場も、この頃から醸成されていったようです。
江戸時代までは女相撲も盛んだった?女人禁制になったのも明治から
相撲は古くから神事としても人々に親しまれてきたようです。
なんと江戸時代までは女人禁制どころか、女性同士が相撲を行う「女相撲」があったとか。
しかも、かなり流行っていたようです。
史書に初めて出てくる相撲は、「采女」つまり、女性であったという説もあります。
(※これに関しては諸説あるようです)
つまり相撲は男だけのものでも何でもなく、普通のスポーツだったわけですね。
それが、明治時代になると、欧米化や男尊女卑の風潮のため、土俵は女人禁制という制度が定められました。
この制度が、現在まで続いている「土俵には女性は上がってはいけない」というルールのベースとなっています。
おそらく、西欧諸国に張り合うには、
「女性が上半身裸で組み合う姿」は野蛮で遅れているように見えるという空気もあったのではないでしょうか?
「相撲は1400年間女人禁制であったとする伝統」は、仏教や神道にあった、「穢れ」の思想をもとに構築された「虚構の伝統」なのです。
「女性は土俵から降りて」の問題点
伝統は人命救助に優先されるものなのか?
これは、SNS等でも多くの人が指摘していることです。
仮に女性が土俵に上がるのを禁じたのが本当に昔からの伝統だったとしても、今は21世紀です。
伝統は理由に人命救助を阻害するための理由たりえないと多くの人が考えている中、こちらの行司さんは対応を誤ってしまったわけです。
しかも、報道によると観客に煽られたためといいます。
これは行司さんがだめというよりは、相撲協会や相撲のヘビーユーザー(観客)の体質と言えるでしょう。
暴力などの不祥事でいろいろと取りざたされている日本相撲協会の閉じた空気が、現代社会から取り残されていることの証拠だといえます。
協会は信頼回復のための体質改善に努めてほしいですし、相撲の女人禁制は実は「つくられた歴史である」という知識が広まってほしいものですね。
追記:巡業の主催者の四方八洲男(前・京都府綾部市長)さんは、
今回の件に対して「女性の相撲観戦者も増えているのだから、しきたりを見直すきっかけにしてはどうか」という趣旨のコメントを発表したそうです。
これを機に相撲の「伝統」にも変革の風が吹くかもしれませんね。
女性の地方自治体代表(知事や市長)や医療関係者の存在が想定されていない
日本ではまだ少ない方ですが、地方自治体代表(知事や市長)や医療関係者の中にも当然女性はいます。
こういった人たちが完全に「いないもの」として扱われていて、
パニックを起こしたりうまく対応できなかったのではないでしょうか?
「いないもの」に出くわした人たちが不適切な行動を取ってしまうという点は、
昨今のセクシュアルマイノリティ(LGBT)問題とも通じる部分がありますね。
伝統芸能という側面もあるので時代遅れと切って捨てるだけではいけないかもしれませんが、
古くは女相撲というものがあったことをきちんと認めた上で、
現代に合ったように規定も変化していくべきなのではと思います。
まだまだ変わらない?宝塚場所で土俵上の挨拶を拒まれた女性市長
今回のニュースを追跡していたら、
そう舞鶴市長の件から日も経っていないというのに、悲しいニュースが目に入りました。
今度は、兵庫県宝塚市の女性市長が4/6日に土俵上で挨拶をしたいと打診したのを断られたと言います。
ニュースの概要は以下の通り。
兵庫県宝塚市で6日に予定される大相撲の地方巡業「宝塚場所」で、開催市を代表して参加する中川智子市長が巡業の主催者に対し、男性の首長と同様に土俵上であいさつしたいとの意向を伝え、断られたことが5日、関係者への取材で分かった。中川市長は土俵下でのあいさつとなり、神戸新聞の取材に「『女性だから』という理由であれば、おかしい。土俵の上か下かは別として、平等に同じ対応を徹底するよう強く要望する」としている。
(「土俵上であいさつしたい」女性市長の要望、主催者側断る|神戸新聞NEXT より)
これに対し、日本相撲協会巡業部長の春日野(かすがの)親方は、
「昨年は土俵下であいさつしたのに、今回は申し入れがあり不思議だ。協会の決まりなので粛々とやっていく」
(巡業部長「認められぬ」 宝塚市長の土俵上あいさつ|神戸新聞NEXT より)
と回答したそうですが、悪い意味での「日本的」な無思考で慣習を見直さない体質が、
ここに現れているような気がするのは気のせいではないと思います。
2020年の東京オリンピックを控え、世界からも日本の人権意識がどう変わっていくか着目されている時期に、
「(なぜ今年は女性首長が土俵に上がりたがるのか)不思議だ」で済ませられる問題ではないでしょう。
中川市長もこれにはがっかりしたようで、
同じ市長であれば男女を問わずに平等な対応を改めて求め、「日本相撲協会として議論をしてもらいたい」と述べた。
中川市長は同日午後に宝塚場所の土俵下であいさつをする予定で「相撲の伝統は大事だが、あいさつの中で『時代の中で変えていく勇気を持ってほしい』とお願いしたい」
(巡業部長「認められぬ」 宝塚市長の土俵上あいさつ|神戸新聞NEXT より)
というコメントを発表しています。
先の舞鶴市長の件も混乱していたため起きたアナウンスだったとはいえ、
救命措置を阻害しかねない行為として認識されてしまった矢先にこの対応ですから、
相撲を巡る「伝統の女人禁制」論はまだまだ波紋を広げそうです。
ちなみに、記事でも紹介されている通り、宝塚市長の中川智子氏は、
宝塚市に同性カップルのパートナー受領証制度を導入するなど、人権関係に力を入れている方だそうです。
上の項目でも書いたとおり、LGBTs(セクシュアルマイノリティ/性的少数者)問題と土俵の女人禁制問題は似ている箇所がありますので、
そういう意味でも動向が注目されますね。
【参考記事】
大相撲の八角理事長が女人禁制の土俵騒動でコメント
「土俵上であいさつしたい」女性市長の要望、主催者側断る|神戸新聞NEXT
巡業部長「認められぬ」 宝塚市長の土俵上あいさつ|神戸新聞NEXT
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